モルトケに学ぶアジャイル組織に必要なもの

"目的を達成する方法は、確実に前もって計画することはできない。"

"予見できる範囲を超えて計画を立てることは避けるのが賢明だ。"

"リーダーは自分自身で状況を判断しなければならず、全体的な意図と一致しつつも、独立して行動する方法を知っていなければならない。"

アジャイルソフトウェア開発宣言の発表から20年が経ち、アジャイルは一般的なものになってきました。しかし予測不可能な環境への適応方法として、アジャイルに似た考え方を提案した150年前の軍人がいました。

それはプロイセン陸軍参謀総長として知られるヘルムート・フォン・モルトケです。最初の引用はアジャイルに関する言葉でなく、モルトケが自身の戦術について語った言葉です。

この記事では、モルトケが考案した訓令戦術にとって重要な要素を理解し、アジャイル組織へのヒントとして活用することを目指します。

ヘルムート・フォン・モルトケ

 

訓令戦術とは何か

モルトケが考案した訓令戦術とは、"上官から命令を受けた下級指揮官は、上官の意図を理解して出来るだけ自主的・主体的に任務を遂行する"という命令の方法です。

これは、戦場では状況が非常に急速に変化するため、詳細かつ長期間に渡る指示を上官が出すことは不可能だという認識に基づいています。そこで、計画を立案した指揮官は部下に自らの構想全体を含めた意図と達成すべき目標を伝え、部下はその意図の範囲内で目標を達成するための方法を決定、実行します。

上官の意図を伝えられているため、情勢の変化などで目標達成が困難あるいは無意味になった場合でも、部下は迅速に次の行動に移ることができます。

この原則は現在でもMission Command(ミッションコマンド)という指揮形式として、北大西洋条約機構 (NATO) などの軍隊で採用されています。

アジャイルが目指す自律分散型組織と訓令戦術の類似性

状況が急激に変化する予測不可能な環境に、現場のチームに正しく権限移譲することで対応する、という訓令戦術の方針はアジャイルにおける自立分散型組織に近いものがあると考えます。

例えば、Jeff Sutherland は2005年のThe Roots of Scrumという講演で、新しい組織の特徴として以下を挙げています。これら特徴(Diversified perspective, Uncertain, Local action, Participativeなど)は訓令戦術が目指す軍隊の形に類似した特徴を持っています。

The Roots of Scrum(Jeff Sutherland)より抜粋

訓令戦術のポイントとアジャイル組織での適用

以下では、訓令戦術で重視されるポイントを理解することで、類似した特徴を持つアジャイル組織に必要な観点を検討します。

Point 1:ミッションに対する深い理解

訓令戦術では、上官から指示された内容をただ実行するのではなく、状況を判断した上で任務を達成するための行動方針を自身で決定します。そのため指揮官はあらゆる命令において、自らの構想全体を含めて何を意図しているのか部下に伝える必要があります。意図を理解することで、刻々と変化する状況に的確に対応できます。

つまり命令ではWhat(目標)とWhy(意図)を伝えることが期待されます。

アジャイルにおいても、マクロな観点ではインセプションデッキの作成などを通じて、プロジェクトメンバー全員が共通の認識と目標を持つことを企図しています。またミクロな視点では、以下のようなユーザーストーリーの記述テンプレートはWhatとWhyの明確化に寄与すると考えられます。

As <Who> <When> <Where>, I want <What> because <Why>

Point 2:高度な判断能力

自分で行動方針を決定するためには、あらゆる階層のメンバーに高い水準の能力が求められます。モルトケが以下のように述べているように、その前提が崩れると訓令戦術も機能しません。

"すべての階級のリーダーが独立した行動をできる能力があり、それに慣れている場合にのみ、大規模な集団を容易に動かすことができる。"

米軍は独立戦争以来プロイセンの訓令戦術から強い影響を受けていますが、ベトナム戦争ではマイクロマネジメントの手法により大きな失敗をしています。フォード・モーター社長から国防長官に就任したマクナマラの手法(例えば、戦場の事象を全て数字で捉えようとする定量化や作戦計画の過度な重視)は、米軍内にマイクロマネジメントの傾向を強めたと言われています。

ただその理由の一つとして、徴兵された兵士の質が低下していたことが挙げられます。ミッションへの理解と判断能力を欠いた部隊が、全体として協調した行動を行うためには、上級指揮官が現場の細々とした事象にまで口を出す必要が出てきたということです。

アジャイルでは自己組織化されたチームが、技術的卓越性と優れた設計に対する不断の注意を保つことが求められています(アジャイルソフトウェアの12の原則)。この点を意識し続けなければ、アジャイルの理想は絵に描いた餅となることが米軍の例から容易に想像できます。

Point 3:コミュニケーション

最後の重要な要素として、コミュニケーションが挙げられます。Point 1では上官から部下に対して意図を明確に伝えるというコミュニケーションを取り上げましたが、モルトケは以下のように部下から上官へのコミュニケーションもまた重視しています。

"コミュニケーションは、上からの命令、下からのメッセージや報告によって維持されており、後者は前者の欠くことの出来ない基礎を形成している。"

部下に行動の自主性が許されているため、上官は状況に関する情報や報告を適宜受けることで、継続的に適切な命令を下すことが出来ます。謂わば、自主的な行動を許すことの当然の帰結といえます。戦闘が激しくなると部隊は報告を後回しにする傾向があるため、戦闘期間であっても適時適切な報告が必要であるとモルトケは述べています。

アジャイルでも、予め定期的なスタンドアップミーティングやスプリントレビューなどをスケジュールすることで、コミュニケーションコストを小さくすることを図っています。またInformation Radiatorを誰でも見れる状態で公開することで、最新の状況を関係者全員に共有することが出来ます。

まとめ

この記事では、アジャイルと類似した特徴をもつ訓令戦術で重視される要素から、アジャイルに必要な要素を検討しました。不確実な状況への適応方法として、"計画して実行する"のではなく、"実行して適応する"という方針を採用した訓令戦術は、アジャイルの適用に大きなヒントとなるように思います。

参考文献

  • Moltke on the Art of War: Selected Writings (English Edition)
  • イラストでまなぶ!用兵思想入門 現代編